'10.12.16. 『祈り』
今年最後は、
「祈り」について、ある本からの言葉を書き添えます。
私は祈りの効果はその言葉にあるのではなく、その時の心の態度によるのだということが分かった。
神を呼び、神に己が心を開かんとする者はまず自分に厳しく己の心を浄めなければならぬ。自らの創造者の前に祈願や嘆願の祈りをしようと決心した時は、利己心の混入や己の利益を計る気持ちがあってはならぬことを心に銘記しておかなかればならない。
―中略―
言い換えれば、自分自身の小さな個我から出て、あらゆる生命あるものの魂と融合しようとしなければならない。そこで初めて私たちは神の前に立ち、祈りの言葉を口にし、他人を傷つけたりするものでない限りにおいて、自分の赤心からの願いを述べることができるのである。
祈りを無価値にする最たるものは疫病、戦争、経済的圧迫等のある時である。―中略―しかし人生の苦難、その孤独、危険な圧迫に際して、心からの援助と慰めを願うなら、それは誤りではなく、扉は開かれるであろう。しかしそれはいつもというわけではなく、また願いのまま聞き入れられるというわけでもない。というのも、魂は永遠への旅の巡礼であり、彼らの通らなければならない道は例外的な場合を除いては、人生が困難で環境が絶えがたいというだけでは変更できないものだからである。
私たちが自分のために祈るときは、本霊が賜物を下すようにと祈りなさい。ただ他人のために祈るときのみ、物質的窮乏やその軽減のことを願いなさい。
あらゆる祈りのうちでもっとも大きなこの祈り(自分のために祈ること)を口にするとき、私たちは大人の心を綺麗に片付けて、子供達の聖なる単純さに自分を戻さなければならない。
祈りの行為をなしつつある人は、心と目的を単純にして、疑いや恐れや不信、利己心、怒り、嫉妬などその他神の入り口を閉ざしてしまう人生のあらゆる重荷を投げ捨ててしまわなければならないのである。
―中略―
しかし本当の祈りをささげたいと思う人なら、その言葉に「確信」と「まこと」があるときだけにだけ祈りなさい。
―中略―
そして心を神に向け、私たちや他人に必要なことを祈願しようと心の準備が整うその時、あなたの祈る所がそのまま「聖なる場所」なのだというこの知識を胸に刻んでおくがよい。
―中略―
叡智を求める祈りであれ。真理、人生万般の真なる行為、その時々の正しい思考を求める祈りであれ。
絶えず熱意をもってこのような賜物が神から下されることを祈ろう。
また、祈りは根本においては未経験な若者と忠告を与える賢明にして慈しみ深き父とのあいだの交流を意味するのだという確信を心に刻みこめ。
「人間個性を超えて―個人的存在の彼方―」G・カミンズ著 梅原伸太郎訳 より
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この本を読んだとき、私はあらためて衝撃を受けた。
知っていたはずなのに、いつのまにか言葉の羅列になっていた祈り。
すべての事に言えること。
”心の態度”が、全てに問いただしていた。
今年一年の感謝をこめて、
ありがとうございました。
来年も、あなた様にとってよい年でありますように。。。。
愛と感謝をこめて。。。。Love & Thanks For You
ありがとうございます←
― ある ―
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