2019

  



 
 
ひとりごと 


ちょっとだけ、日々の出来事を書いていこうかな。
生活していく中で、少しでもヒントになれば・・・。
私のひとりごとなので、すぐに削除することもあると思いますが・・・(^o^)丿




--
  


自分の運命(さだめ)'19.5.7

生まれる前の記憶'19.3.22

13年目を迎えます -12年間を振り返って想う事―'19.1.26


●Home




↑ このぺーじのTOPへ戻る









 '19.5.7 「自分の運命(さだめ)

 
 

 ”考えは 言葉になる
    言葉は 行動になる
     行動は やがて習慣になる
      習慣は 人格になる
        人格は その人の運命(さだめ)になる”
          
マーガレット・サッチャー

かつてのイギリスの女性首相の言葉だ。

良くも悪くも、彼女はこの言葉道どおりに生きてきた。

私はここにもうひとつ付け足したい。

 ”
感じること それが考えになる
   考えは 言葉になる
    言葉は 行動になる
     行動は やがて習慣になる
      習慣は 人格になる
        人格は その人の運命(さだめ)になる”


最初に感じる! 
それが始まり!

この地球上で悲惨な戦争が起きている。
災害で苦しむ人たちがいる。
いじめや家庭内暴力、DV、さまざまな犯罪。
人々の苦しみ、悲しみ。

・・・・もしこれらの事が、すべて自分の責任で起きると、
すべての人が感じることが出来たら
この世界からは、悲劇はなくなるのではないだろうか。

私の責任ではないと言うのは簡単だ。
だが、ひとりひとりが、自分の責任と感じて行動したとき
きっと世界は変わるはずだ!

きっと世界は変わるはず!



愛と感謝をこめて。。。。Love & Thanks For You
ありがとうございます←

(エルス) ―


メール
↑ このぺーじのTOPへ戻る





 '19.3.22 生まれる前の記憶

 
 

生まれる前の記憶・・・
私には、”ベールの彼方(天国?またはあの世)”の記憶があるのに、なぜか、どうしても両親を選んだ時のことを思い出せなかった。

何度も瞑想したり、大いなる自己にお願いしてみたりと、ずーっとトライしてきた。

私は2歳ぐらいから記憶がある。
なぜならDVの家庭だったからだ。
最近のニュースで、幼い子供が虐待を受け亡くなっているのが報道されていた。
そんなニュースを見たり聞いたりするたびに、
「死んだあの子は私だったかもしれない」
と心が締め付けられる思いと同時に、昔から起きてしまうパニック症状が出て、動悸と冷や汗、体の震えがおきる。

3年前に父が亡くなり、娘として長女として最期をみとった。

愛されたいと思いながら、愛されていないと感じる10代・20代を過ごした日々を思い返しながら、

「私には必要ない事なのだろうか」
と諦めかけた時、一つの言葉と共にヴィジョンが現れた。

この人たちを愛してあげたいの!

かわいらしい声だった。

私はひとつの部屋にいた。

その時の私は子供の姿だった。
だが姿は子供だったが、魂の姿は立派な女性であり、すべて理解していた。
心は落ち着き、不安もなく『愛』に溢れていた。
ただ愛に包まれていた。

その部屋の様子は、なんと言っていいのだろう。表現が難しい。
部屋と言っても、仕切られている壁は見えない。
円形と言うか、ドームのような感じだ。
壁は彩雲(さいうん)のような色で、流動的で流れている。
―きれい!― と、思わず口ずさむ・・・。

SFにあるような、何千・何万という、たくさんのモニターのようなものが空間に浮かんでいる。
部屋の中央あたりに、一人の女性が立っている。
流れるような、シフォンのような白いドレスを着ている。
―綺麗な人・・・・―

私はひとつのモニターに引き付けられた。
全て知っていた。
これから何が起きるかも知っていた。

じっと見入っている私。

いつの間にか、中央にいた綺麗な女性がそばに立っていた。

「私、ここにいく。」

「どうしてここがいいの?」と、綺麗な女性が聞いてきた。

「この人たちを、愛してあげたいの!」

綺麗な女性は微笑んだ。

次の瞬間、
私は、母のおなかの中にいた。

ヴィジョンは終わった!


私は思い出したのだ!

私が今の両親を選んだ理由。

その当時の両親が自分自身に悩み、起こすであろうDVも、生まれる前の私は知っていた。
それでも、生まれる前の私は、この両親を
「愛してあげる」ことを選んでいた。

ただ、愛していた!

私はずっと苦しんできた。
幼い時からの両親の仕打ちを思いながら、それでも両親を愛していたことに。
成人して独立してからも、年老いた両親から困っていると電話がれば、援助をしてきた。

憎いはずなのに、「愛している」と言う思いが湧いて、いつも援助をしてきた。

私のこの行動を見ていた友人たちや親戚は、私の代わりに怒りを表現してくれていた。

私は、憎みたいのに憎めなかった。
愛していた。
彼らは彼らなりに、私を愛してくれていたのだろう。
昔の自分達の行いにさいなまれながらも、晩年は私を愛してくれていたのだろう・・・。。

それが分かり、私はずっと苦しんできた事を解放することができた。

今やっと、私は
思い出したのだ。

自分で両親を選んだ理由を・・・・。

思い出すことによって、春になり雪が解けるかのように
心の力が抜けた。―

私は
―”愛するため”に生まれてきた
   私は、この人生、すべて愛している―




愛と感謝をこめて。。。。Love & Thanks For You
ありがとうございます←

(エルス) ―


メール
↑ このぺーじのTOPへ戻る





 '19.1.26 「13年目を迎えます -12年間を振り返って想う事―

 
 

 ”人は
   不安になることで
     安心している”


ある日のメッセージだ。

今の自分の思考を読まれたようで、はっとし、恥ずかしくもなった。

昨年から繰り返し湧き上がる「メッセージ」がある。

 ”起こってくることは全て自分の責任である、
    という絶対的な自己責任を受け入れること”


自分が起こしたこととは思えなくても、「責任をとる」ということ。
そう!天気さえも。

地球に住むすべての存在の潜在意識を受け入れ、浄化しているだけなのだから。
だから、天気さえも私たちの責任なのだ。

それを受け入れた時、何かが変わる。

私は切に思う。

一緒にこの話をしたい。

ニューエイジの集うところでありたい!



愛と感謝をこめて。。。。Love & Thanks For You
ありがとうございます←

(エルス) ―


メール
↑ このぺーじのTOPへ戻る